LGBTQ+と映画
先日、やっとNetflixで見ました。
「ミッドナイトスワン」
公式サイト:映画『ミッドナイトスワン』公式サイト|上映中
普通に良い作品でした。
ネタバレになるため詳細は伏せますが、中盤のコンクールのシーンは、秀逸です。
この主人公である、トランスジェンダーの凪沙を演じるのは元SMAPの草彅剛さん。
この作品で、日本映画プロフェッショナル大賞 主演男優賞を受賞されています。
哀愁漂う感じや、凪沙の芯を感じさせてくれる演技でした。
普通に唸りました。
あーーーー、詳細言いたいっっっっ!!語りたいっっっ!!!
けどネタバレになるので、伏せます( ;꒳; )
LGBTQ+の認知が世の中に広がり始めて時間が経ちました。
その中で色々なLGBTQ+を扱った作品が出てきています。
私が一番最初に観た、思い出深い作品は
「リリーのすべて」です。
エディ・レッドメインさんがノリに乗りまくっていたときの一作。
YouTubeの予告編で見て、彼の美しさに惹かれDVDを借りてきて見ました。
(田舎だったので、上映映画館がなくて( ;꒳; ))
主人公の感情の機微を上手く演じられていた記憶があります。
感動した作品でした。
さてさて、そんな「リリーのすべて」ですが
エディ・レッドメインさんは後にこう語っています。
「今だったら、あの役を引き受けないよ。よかれと思ってあの映画を作ったけれど、間違いだったと思っている」(引用元:エディ・レッドメイン、映画『リリーのすべて』に出演したのは「間違いだった」と告白 - セレブニュース | SPUR)
この背景には、LGBTQ+の人をストレートの俳優が演じることを良しとしない意見からの
エディさんを起用したこのへの批判があります。
私はこの記事を見た時、すっごく疑問を持ちましたし実は今も納得出来ていません。
よくよく他の記事を読むと、LGBTQ+の特にトランスジェンダーの俳優さんたちに役を演じる機会が平等に与えられてないことへの抗議の意味を込めての発言だったようでした。
(参考元:エディ・レッドメイン、『リリーのすべて』批判を受けてトランス俳優たちに演劇学校で学んでいた - フロントロウ | グローカルなメディア)
けど、やっぱりモヤモヤが残ります。
あの作品はエディ・レッドメインさんがリリーを演じたからこそ、あそこまでの完成度となったと思っています。
だから、「間違い」と表現はして欲しくなかったという気持ちがあります。
LGBTQ+の人をストレートの人が演じることを
ストレート・ウォッシングと言うらしいですが
私はその言葉がどうしても受け入れられません。
この考えを支持する人達は「トランスジェンダーの役はトランスジェンダーがやるべきだ!」と言っています。
しかし、そもそも演技というのは性別や性的指向に囚われず
役者がその一人一人の役柄を理解して表現するものではないでしょうか。
私はそう考えています。
「性別/性的指向」に囚われていたら、演劇や映画などの芸術の幅は狭まってしまうのではないでしょうか。
日本には古くから歌舞伎(男性のみ)に始まり、宝塚(女性のみ)等の「異性の役を演じる」演劇があります。
西洋を見てみると、オペラ(歌劇)でも男性が女性、女性が男性を演じることもあります。
映画では、ヘアスプレーという映画の主人公の母親役はジョン・トラボルタさん(男性)が演じられてます。
昔から人は「演じる」ことに対しては、性別の枠組みというものを意識してきていないと私は思っています。
だって、「演じる」ことは「自分とは別の人になりきる」という行為なのですから
なりきれればそこに性別は関係ないのです。
私が近年LGBTQ+作品で感動した舞台があります。
今は亡き三浦春馬さんがローラを演じられた「キンキーブーツ」です。
彼の舞台上での圧倒的な演技力と存在感は、忘れることは出来ません。
もう一度観れるなら…と残念でならない、素晴らしい舞台でした。
主人公の一人であるローラはドラッグクイーンです。
三浦春馬さんは性的指向は公表されていませんでしたが、報道された恋人を見る限りではストレートかバイ・セクシャルだったかのように思います。
彼はローラを演じるにあたって、血のにじむような努力を重ねたそうです。
ヒールを日常的に履くローラに倣って、家の中ではヒールで過ごしてみたり。
そういった努力の上に獲得したローラは、唯一無二の観客に感動と元気を与えてくれるローラでした。
今回私が観た「ミッドナイトスワン」の草彅剛さんも同様に、画面の中にいたのは「凪沙」でした。
(やや、脚本に物申したいことはありますが)草彅さんは、凪沙の抱える自分の人生(心が女性、体が男性であること)へのどうしようもなさや、叶えられない夢への葛藤を上手に演じられていたと思います。
確かに、当事者であるLGBTQ+の人々の方が
当事者意識を持って演じられるのかもしれません。
しかし、「演技」の本質はそこではないと考えてしまうのです。
そしてこの批判は逆に、LGBTQ+の人々の首を絞める行為になっているようにも考えられます。
ストレートはストレート。
ゲイはゲイ。
という風にキャラクターと演者の性的指向に沿って配役をするようになってしまったら
LGBTQ+の人々は他の役を貰う機会を失ってしまいます。
ゲイの役者さんがストレートを演じられることは多々ありますが、イケメンでドキドキします( ˙꒳˙ )♡
トランスジェンダーの役者さんの中には
女性の身体を獲得した後、女性の役をやりたいと思われる方もいるはずです。
しかしこの流れは、それを妨害する行為と紙一重です。
監督や原作者などがオーディション等で
「この役者を使いたい!」と思わせる演技を磨いていくしかないと思います。
もし、LGBTQ+の役者さんの幅を広げたいと思うのなら
そういった方々への門戸を大きく開くのも一つです。
製作側が「この役はトランスジェンダーの方にお願いしよう。」「この役は役に当てはまれば誰でもいい。」という様々な考え方を持って、作品作りを進めていくことも有効な道だと思います。
この間公開された「エゴイスト」という映画。
公式サイト:映画『エゴイスト』オフィシャルサイト 2023年2/10公開
ゲイ2人の恋愛を描いた、鈴木亮平さんと宮沢氷魚さん主演の映画です。
その中にゲイの友人役で、ドラッグクイーンのドリアン・ロロブリジータさんが原作者さん希望で出演しています。
こういう風に機会が広がるように働きかけ、色んな人にチャンスが与えられた上で
役にぴったりの人が演じればいいと思います。
それが演劇や映画界の発展に繋がると思います。